正岡子規の写真はなぜ横顔か、正面はあるか
お笑いコンビ霜降り明星の漫才ネタのなかで、ツッコミの粗品さんが、「こいつは正岡子規!」と突っ込む場面があります。
粗品さんのツッコミのなかでも、特に好きなツッコミの一つで、これは朝の情報番組を行う「朝の生放送」というネタの一場面です。
さっぽろ雪まつりの中継で、色々な偉人の雪像があり、どの雪像も誰のものか分からないなかで、せいやさんが突然、横向きに座り、粗品さんが、「こいつは正岡子規!」とツッコミを入れます。
偉人で横顔の肖像写真と言えば正岡子規、ということが一般に知れ渡っているからこそ生じる笑いでしょう。
偉人の肖像写真で、これほど横顔というのは、確かに正岡子規くらいしかぱっと浮かびません。
しかも、ちょっと雰囲気を出すために横向きで撮っているというレベルではなく、ひねくれているのか、というくらいに真横を向いています。
正岡子規 肖像写真
それでは、一体なぜ正岡子規の肖像写真は、横顔なのでしょうか。
そもそも、正岡子規とは、明治時代の近代俳句の祖として知られている、文学の世界の偉人で、代表作に、「柿くえば鐘がなるなり法隆寺」があります。
句で描かれている季節は秋。季語は柿で、前書きには、「法隆寺の茶店に憩ひて」とあります。
この「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」の「くえば」とは、「食べていると」という意味で、全体では、法隆寺に立ち寄ったのち、茶店で一服して柿を食べていたら、ふいに法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた、といった意味合いになります。
34歳という若さで病によって亡くなる正岡子規。結核に苦しみ、肺結核から脊椎カリエスを発症したことが死因となります。
あの有名な横顔の肖像写真も、晩年に近い死の約2年前、明治33(1900)年に撮影されています。
横顔だった理由は、そのときに病んでいた脊椎カリエスにあったようです。
子規は持病の脊椎カリエスが悪化、前屈みの姿勢になっていた。正面からの撮影で、背筋を伸ばすのが難しかったのだろう。
「その頃は、いすにきちんと座ることさえできなかった。あの横顔の写真も無理して撮って、その後痛みに苦しんだようです。結果として、あれが最後の写真となりました」
正面から撮ろうとすると、背筋を伸ばすことになり苦しく、前屈みの姿勢だったことから、横顔になった、という事情があったそうです。
本人も、この写真は気に入っていたそうですが、教科書にも載っていることから、誰もが正岡子規と言うと、あの坊主頭に横顔の肖像写真を思い浮かべます。
芸人で言えば、バイきんぐの小峠さんと似ていることでも知られています。
「小峠さんの神ワザはありますか?」と聞かれた小峠は「オレ、マジでなくてさぁ。だからもう諦めた」と語る。
そして「だからモノマネって言われたら、オレは正岡子規1本でやってる」と、横を向いて俳人・正岡子規のモノマネを披露。「すごい(笑)」「似てますw」「そこにたどり着いたんだ」とスタジオを笑わせた。
ところで、正岡子規の顔写真には、正面から写したものは残っていないのでしょうか。実は、正岡子規の正面からの顔写真も存在します。
これが、正岡子規の正面からの顔です。年齢は何歳くらいなのでしょうか、学生時代の頃なのかもしれません。
正面の写真は、他にもあります。
眼差しに多少の特徴はあるものの、正直、あの「横顔」が正岡子規なので、正面からの写真を見て、これは誰でしょう、と問われても、分からないという人も多いのではないでしょうか。
肖像写真に写っている「顔」で思い出すのではなく、「横顔」ということで覚えている、というのも珍しいかもしれません。