オードリー

ディヴ(分人)の意味とは

ディヴ(分人)の意味とは

オードリーの若林さんの若い頃のエッセイを読んでいたら、「ディヴ(分人)」という聞き慣れない言葉に遭遇しました。

この言葉は、若林さんが、作家の平野啓一郎さんの小説を読んで、ちょうど自分の悩みと合ったことから紹介していた概念で、「ディヴ(分人)」を分かりやすく解説すると、おおむね次のような話になります。

まず、若林さんは、売れてまもない頃に、番組や世間が求めているような反応を、自分が心からは思っていない、ということに気づきます。

たとえば、芸能人の高級なお宅訪問のVTRに対し、「どうでもいい」というのが内心の本音だった若林さん。しかし、コメントを求められた際に、「どうでもいい」と口に出すわけにはいきません。

自分の率直な感想が番組に馴染まない場合に、色々と言葉探しに四苦八苦し、悩んでいたそうです。

気心知れたディレクターに、その悩みを相談すると、「昼間やゴールデンの番組は、お正月の親族の集まりの自分。深夜番組やラジオは、コンビニで地元の友人と喋る自分、という風に分けて考えてみたらどうか」とアドバイスを受けます。

そのアドバイスに目から鱗で、ちょうどそんなことを考えていた頃に出会ったのが、作家の平野啓一郎さんの小説に出てきた、ディヴ(分人)という言葉でした。

基本的に、人々は、親に見せる自分、友人に見せる自分、仕事場で見せる自分など、違った自分を見せています。

これは何も意識的にはっきり「キャラを使い分けている」という話ではなく、それぞれ、あくまでその関係性のなかでは自然体ながら、しかし、二つを並べてみると異なって見えるような、分けられた一つ一つの自分を出している、といったことを意味します。

分人に関する、若林さんの解説と具体例を紹介したいと思います。

恋人といる時の自分、会社での自分、両親の前での自分と、人には様々な自分がいて、その分けられた一つ一つの自分のことをディヴ(分人)と呼んでいた。「キャラ」という言葉よりは操作性がなく、対人関係や居場所によって自然と作られる自分が「ディヴ(分人)」だ。

よく、先輩と後輩と飲んでいる時に後輩に弄られて「おい! 調子に乗るな!」と突っ込むと先輩に「若林って後輩にそんな感じなんだぁ」と言われ「いや、違うんです」みたいなやりとりがたまにあるが、あの居心地の悪さは先輩に対するディヴ(分人)と後輩に対するディヴ(分人)が行ったり来たりするからであろう。

出典 : 若林正恭『社会人大学人見知り学部卒業見込み』

若林さんは、先輩と後輩で喩えていますが、他にも、たとえば、中学高校で一緒だった地元の友人と、大学に入ってから出会った友人と、自分の三人で会うというとき、それぞれの友人の前では自然体の自分で接しているはずなのに、いざ三人で会うとなると混乱してしまうような感覚になることがあるのではないでしょうか。

これも言わば、自分のなかで「分人」を持っていて自然と使い分けている、ということが言えるでしょう。

上記のような若林さんの説明でも、もうじゅうぶん分かりやすいですが、加えて平野啓一郎さんの分人に関する言葉も紹介したいと思います。

「分人」とは、対人関係ごとに生じる様々な自分のことだ。

一人の人間は、複数の分人のネットワークでできており、「本当の自分」という中心は存在しない。

私は、近代的な「個人」という考え方の限界を乗り越えるために、「分人」の概念を発送した。

出典 : 平野啓一郎『自由のこれから』

より哲学的な解説になっていますが、この平野さんの説明で重要なポイントは、中心にあるべき「本当の自分」というのがあるわけではない、という点です。

すなわち、中心に「本当の自分」があり、その都度、偽りの自分を演出しているのではなく、自分というもののなかには様々な色があり、環境や他者との関係のなかで、「分人」、言ってみれば「そういう自分」が表れている、ということが言えるでしょう。

そして、これが本当の自分だ、という確固としたものがあり、誰に対しても、どんな相手に対しても、その「自分」に執着しているようなら、むしろそれは子どもだ、というわけです。

若林さんが、大人だ、と思う人も、ときと場合によって、「自分の本音を感情的にならずに押したり引いたりできる」人だと言い、これが言い換えれば、様々な「分人」を自分で使い分けること、という話に繋がっていきます。

それから、若林さんは、この分人を使い分けるに当たって、同時に、すべての分人に一貫しているものがなければ自分を見失ってしまうこともある、と指摘しています。

確かに、いくら「本当の自分は存在しない」と言っても、だからと言って、その都度、相手や環境に合わせるだけで一切自分の考えがない、という話でもないのでしょう。

いずれにせよ、コミュニケーションというのは、自分と他者、確固たる個人と個人のやりとり、というよりは、環境や関係性、気分なども含めた複合的な相互作用によって決められるものであり、大切なことは「そのときに現れる自分=分人」がどれくらい好きか、あるいは、分人を上手に使い分けられることが大人なのではないかと、そんな風に捉えることによって、気分的に楽になることもあるかもしれません。

『私とは何か──「個人」から「分人」へ』公式ムービー|7分で「分人主義」を理解する【小説家・平野啓一郎】

平野さんは、公式のYouTubeチャンネルで、この分人主義の解説動画を公開しています。

イラスト付きで、7分ほどの短い動画なので、分人という考え方の意味に関する分かりやすい解説を探している場合は、この動画がおすすめです。

ちなみに、ディヴとは、平野さんの造語ですが、これは英語の「dividual(分離した、分けられた)」に由来します。逆に、「個人」という意味の英語が、「individual」です。