ティモンディ高岸がイップスになった原因
芸人というと、ざっくり分ければ、根っからの明るいクラスの人気者がそのままお笑い芸人を目指して突き進んでいったタイプと、クラスでは目立たない暗い性格だったものの、独特のお笑いのセンスを引っさげて芸人の道へ進んだタイプがいます。
若手芸人のなかで、明るく元気でポジティブなお笑い芸人の代表格と言えば、名門済美高校野球部出身のコンビ「ティモンディ」の高岸さんです。
お笑いコンビのティモンディは、サンドウィッチマンの事務所グレープカンパニー所属で、2015年結成の済美高校野球部出身の高岸さんと前田さんの二人組コンビです(同期芸人には、かが屋や東京ホテイソンがいます)。
高校時代、二人とも野球選手として活躍していましたが、特に高岸さんは、プロからのスカウトの話もあったほどで、ヤクルトや阪神といった球団から育成枠で声もかかったそうです。
高校時代は、投手として最速147km、打者としても通算本塁打20本と、投打に活躍。高校としては甲子園に行っているものの、その際はベンチ入りはできず。選手としては、県大会の準優勝で、惜しくも甲子園出場は叶わなかったそうです。
ポジションは投手兼野手で、打順は3番4番を、相方の前田さんと取り合うほどの実力者でした。
高校時代のティモンディ高岸さんの投球動画が、YouTubeに残っています。
第92回全国高校野球愛媛県大会 (準々決勝 済美ー北宇和) ティモンディ 高岸投手
前田さんと高岸さんは、同級生として入寮の初日に、最初に話をして以来仲良しとなり、このときには、サンドウィッチマンのM-1優勝の話で盛り上がったそうです。
高岸さんの持ちネタとして、「やればできる」というフレーズがありますが、この「やればできる」は、高校時代の校訓に由来しています。
高岸さんが野球の道を断念したのは、大学時代(東洋大学経営学部卒業)の肘の怪我。また、「イップス」という、メンタルが原因で球が投げられなくなる状態になったこともあり、大学で野球を続けられなくなります。
ティモンディ高岸:怪我もあったんですけど、その前から“イップス”という心の病気に悩まされて、ボールを思うように投げられなくなっていました。球速をコントロールして、キャッチボールのような短い距離を投げることができない。そのせいで十分なウォーミングアップができず、いきなり本気で投球練習をするしかない状態でした。当然、肘への負担は大きくなるので、それが積み重なり、結果的にもう投げられない状態になってしまったんです。
高岸さんがイップスに陥った原因は、「完璧主義」にあったようです。
ボールを10球投げたら、10球ともベストな球を投げなければいけない、と自分自身を追い込み、失敗するたびに、「なんでそんな球を投げるんだ」と自分を責めていたそうです。
完璧主義で自分を追い込み、そのストレスによってイップスとなってしまった高岸さん。さらに、そのイップスに関して、誰にも相談できなかったと言います。
ティモンディ高岸:その時は、僕自身だけでなくチーム内にも「イップスだ」と口にすること自体が良くないという雰囲気があったんです。自分がイップスだと認めてしまったら、さらに悪化してしまう……そう思い込んでいたので、誰がどう見てもおかしいのにそれを見て見ぬふりじゃないですけど、自分でも気づかないふりをしながら練習を続けていました。ただ、投げられないのは現実としてあるので、チームメイトに対して劣等感を持つようになってしまったり、「早く治さないと」という焦りが生まれて、どんどん悪い方向に流れてしまったんです。
自分で自分をストイックに追い込み、しかも誰にも言えずに捌け口もなく、焦りも加わり、余計に悪循環に入ってしまった高岸さん。
高岸さんは、もっと周りに相談すればよかった、と当時を振り返って語っています。色々な人がいることを知り、イップスの対策や練習法もあるなかで、強がって抱え込みすぎずに、仲間に助けを求めてもよかったんじゃないか、と。
肘の怪我やイップスで、大学3年のときに野球の道を断念。さらに家庭が裕福でなかったこともあり、野球を離れてアルバイトもしなければ卒業もできなくなる、ということから、最後の一年は野球を諦め、バイトと大学の卒業に目標を絞ることにします。
ずっと頑張ってきた野球を諦めることは簡単ではなく、ちゃんと諦めるために、「僕の人生に野球なんてなかった」と思い込むようにしたそうです。
野球を断念し、4年ほど経ったあるとき、肘が痛くない、ということに気づいた高岸さんは、ブランクを経て、公園で久しぶりに投球をしてみます。すると、球速150km。野球から離れた期間に、怪我もイップスも完治していたようで、再び、趣味で野球を始めることになります。
ティモンディ高岸、涙の始球式
本気でプロを目指し、断念したプロ野球のマウンドに、お笑い芸人として始球式の場に立った高岸さんは、マウンドで涙を流します。
この始球式での涙の理由には、相方の前田さんへの感謝の思いがあったようです。
コンビを組む時に、僕がプロを断念したことも前田はわかってるんで、『お仕事通じてでも、NPBの始球式立たせるからな!』って約束をしてくれていたので、『前田すごいな!』って感動と感謝がぐっと…。(前田は)ずっと言ってくれていました。(高岸)
学生時代、自分を追い込んで追い込んで、イップスになり、誰に相談もできなかった高岸さんは、決して自分は「ポジティブなわけではない」と前置きし、その上で、当時の自分に言いたいこととして、次のように語っています。
僕自身は「こうじゃないとダメ」という思い込みが強すぎたんだと思います。狭い世界でしか自分を見ることができなくて、「これ以外は間違い」「これだけが正解」と決めつけていた。でも、世の中にはいろんな人がいて、いろんな生き方があって、いろんな性格、個性がある。それでいいんだと思います。
僕は今でもポジティブになったとは思っていないですけど、それでも当時の自分に声をかけてあげるとすれば「自分のペースでやっていい」「周りと比べる必要はない」「せっかく好きで始めた野球なんだから楽しくやってほしい」と伝えたいです。
そんなティモンディの高岸さんは、2022年夏に、プロ野球選手になる、という夢が叶います。
所属チームは、プロ野球独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスで、ポジションは投手です。
6月中旬に、チームのトライアウトに臨み、所属選手2人を相手に5打席対戦し、被安打1に抑え、1三振を奪い、合格します。
持ちネタでもある「やればできる」ということを見事に体現した、高岸さん。今後は、プロ野球選手とお笑い芸人の二刀流での活躍が期待されます。
済美OB鵜久森と3打席勝負!! 高岸が圧巻のピッチング!
ちなみに、高岸さんがお笑いを目指すきっかけとなったのも、ティモンディの出会いの際に話題になったサンドウィッチマンでした。
大学で野球を断念したとき、他の方法で勇気を与えられる道がないか、と思った高岸さんが、ちょうど東日本大震災を受けてのサンドウィッチマンの復興活動を見て、お笑いという職業に惹かれ、別の大学に通っていながら引き続き仲の良かった前田さんを誘ってコンビを結成します。
ティモンディというコンビ名の由来は、高岸さんの夢に出てきた単語で、アルファベット表記だと「Timon D」。特別意味があるわけではなく、夢のなかに巨大な岩が現れ、岩に「ティモンディ」とあったそうです。
コンビ名を考えようと言った日の夜に見た夢だったので、運命的なものを感じ、コンビ名としたようです。