オードリー

オードリー若林の語るラジオ論

オードリー若林の語るラジオ論

オードリーの若林さんが、『オードリーのオールナイトニッポン』で“ラジオ論”として語っていたことがとても面白かったので紹介したいと思います。

今やスマホやパソコンを使って誰でも自宅でラジオができる時代。

それでも、わざわざラジオ局を訪れ、ブースに入って放送する意味は、「ここにいる人たちを笑わせるため」と若林さんは言います。

ラジオでもさ、たとえばこういうネットでさ、ラジオ自分でできるっていう時代だから、ラジオっていうもの自体が家でできるじゃん、一人で、という話も出るけど、やっぱり、ここにいる何人かが笑うかどうか、っていう頭でやってんだよね。

だから、それがやっぱり、ブースまで来る意味なのかな、ラジオっていうのは。

出典 :『オードリーのオールナイトニッポン 2020.3.14』

ラジオは、このブースにいるスタッフたちを笑わせる感覚で実践。

逆にFMのスタジオに行けばスタッフも内装も違うゆえにまた笑いの形も変わり、「めちゃくちゃおしゃれなこと喋るからね」と若林さん。

これはラジオだけでなく、友達関係や、テレビ番組のスタッフさんにも当てはまり、その環境(周りの笑いのツボから建物まで広い意味での環境)に、笑いは影響を受ける、といった風に語っていました。

誰に向かって、というのがはっきりしないと、基軸ができないのでふわっと方々に流れて消えていく散漫なトークになっていきます。

これは、ある意味、お笑いやコミュニケーションの本質に近いのかな、という気がします。

コントのような台本がしっかりあるものなら、多少は無観客でも影響は少ないかもしれません。

一方で、ラジオのようなフリートークや届いているかどうかを逐一感じながら微調整する漫才は、表情のわかる「誰(観客にせよ、スタッフにせよ)」というのが重要なのかもしれません。